羅生門 下人の行方は誰も知らない 意味 41

「羅生門」の最後の一文、「下人の行方は誰も知らない。」は「羅生門」の授業でよく扱われる部分である。今回は最初にいくつかのの授業実践例をあげ、そのいい点と問題点を簡単に説明する。そして最後に「語り手」を意識した私の解釈を紹介し、その可能性について考えたい。 下人の行方は、誰も知らない。 (『羅生門』より引用) という一文で、話は終わります。 下人の結末が分からないまま話が終わってしまうというのも、ホラーのようなゾッとする効果を演出し、読者に印象的な結末を見せるのです。 2021年1月31日までに100記事書きます  ①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「芥川」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。, ②に関しては、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学に贈られる賞です。それ以上は僕もよくわかりません。調べてください。, ③に関しては、芥川はその性格上完璧を求めるが故に短編が多いです。僕個人短くて凝ってる文章が好きなので、まさに芥川の文章は僕の理想です。, 「芥川龍之介の作品の中で一番好きな小説か。そうだな、そしたら王道の『羅生門』かな。高校の現代文の教科書に載ってるから、日本人のほとんどが知ってる小説だよね。僕の高校では、一年生の一番初めの授業で『羅生門』をやったから、まだ仲良くなりきってない生徒の緊張感と、高校生活へのワクワク感込みで、妙に覚えてるんだよね。, オリラジのあっちゃんがYoutubeで取り上げてて、そのあらすじ紹介が上手で面白いから観てみて。, 舞台は、平安時代末期。当時の京都は飢饉とか竜巻のせいで荒れ果てていたんだ。ある日の夕方、壊れた羅生門の下で、若い下人が雨宿りをしていたんだ。下人は、家の雑用をする奴隷のことね。その下人は数日前に、仕えていた主人から解雇されていたんだよ。生きる術がない下人は、盗人になるしかないと思いつめていたけど、どうしても盗人になる勇気が出なかったんだ。そんな時、羅生門の2階に人の気配を感じたんだよ。, 2階に行ってみると床にたくさんの死体が放置されてるんだ。そしてその中で猿みたいな老婆が、若い女の遺体の髪の毛を抜いていたんだよ。下人は、直感的に老婆の行為に怒りを覚えて、老婆を押さえつけたんだ。すると老婆は「抜いた髪でカツラを作って売ろうとしていた」と説明するんだよ。そして「抜いた髪でカツラを作ることは悪いことだが、生きるためには仕方がない。今髪を抜いたこの女も、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売っていた。それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。だから私が髪を抜いても、この女は許すだろう。」と言うんだ。, 下人は当初、髪を抜く老婆に対して正義心から怒っていたけど、老婆の言葉を聞いて盗人になる勇気が生まれるんだよ。そして老婆の着物を急にはぎ取って「これも俺が生きるための悪だ」と言って、闇の中へ消えていくんだ。そして最後は、, と結んで終わり。どう、思い出した?最後の文がカッコ良いよね。芥川はこの小説を東大在学中の23歳の時に書いてるんだよ。天才だよね。, あっちゃんは、『羅生門』のテーマを「人間の醜さと闇」だと説明してるよね。確かに芥川の作品全体をみると「醜さと闇」を扱ってるのが多いけど、『羅生門』に関しては、そこまで「醜さと闇」が全面に出てるとは思わないんだ。どう思う?僕としては『羅生門』からは「生の肯定」みたいな割と明るい印象を受けたんだよね。あくまで僕個人の解釈だけど、①冒頭の文章②時代設定からその理由を説明するね。, すごいわかりやすい描写だよね。夕方に、下人が、羅生門の下で、雨が止むのを、待っていた。ここで注目して欲しいのが、「雨やみを待っていた。」という部分。下人は、夕方に羅生門の下で、雨が止むのを「待っていた」んだ。待っていたということは、雨が止んだ後何かをしようとしていたってことだよね。, 下人はこの時、主人から解雇されて一文無しで途方に暮れている状態で、生きるか死ぬかの瀬戸際にいたんだ。でも、「待っていた」ってことはこの先も生きようと思ってたということなんだ。, 例えばここが「ある日の暮方の事である。雨が降る中、一人の下人が羅生門の下でしゃがんでいた。」だったら、だいぶ印象が変わるでしょ。下人のこの先の行動は何も決まってなさそうだよね。「待っていた」よりも悲壮感が強くて、もしかしたらこのまま死んでしまうのかなって思うよね。, ここで下人の行動を整理すると、盗人になろうとしたくせに、死人の髪を抜く老婆を発見すると正義感を振りかざしてやめさせ、そして老婆の「悪い奴には悪さをして良い」理論を聞くと、自分も老婆に悪さをした、という流れだよね。, 下人は主人から解雇され途方に暮れてる状態だから、生きるか死ぬかの究極の選択をする状況だと一瞬思えるんだけれど、, とあるように、「生きるか死ぬか」ではなくて「盗人になるかならないか」の選択をしているんだ。なぜなら「待ってい」るから。, つまりフランクに言うと、今の下人は、首吊りロープをくくって、首をかけるかどうか迷っているのではなくて、タウンワークを持ってどの職業につくか迷っている状態なんだ。ここに「醜さや闇」は感じないよね。, でも下人は、「盗人」という職業・生き方を積極的にやりたい訳ではないから、雨を「待ってい」るけれど、「止んで欲しい」とは思ってなかったんじゃないかな。おそらく「止まなきゃ良いのに」という気持ちの方が強かったと思うんだ。, 下人は今、主人に解雇されてもはや「下人」ではないよね。つまり下人は何者でもない「ただの人」なんだ。だけど、雨が止むのを待っている時だけ、「待っている」人になれるんだ。雨が降り続けてくれれば「待っている」人になれる。雨が止んでしまったら、何者でもない自分は、生きるために何かしなければならない。何かといっても選択肢は盗人しかない。雨が止んだら盗人にならなくてはいけない。っていう状態だよね。下人は、雨がこのまま降り続いていつまでも「待っている」自分でいれたら良いのにって思ってたんじゃないかな。, 電車に乗ってボーッとして「このまま会社(目的地)につかなきゃ良いのにな」って思ったりする感覚と同じだよね。太宰治の『待つ』を連想させられる。, 次に下人は、羅生門の上で、死体の髪を抜く老婆を見つけるよね。老婆の「この女は悪いやつだから、これくらいされても良い」という論理を聞いて、下人は盗人になる覚悟ができて老婆の着物をはぎ取るんだ。, この一連の行為から、「生きるために自分を正当化させて人を貶める。これはまさにエゴイズムを描いた文学だ。醜さと闇なのだ。」って言われても、何かずれてる気がしちゃうんだよね。, だって「死んだ人の髪の毛を抜く」行為も「老婆の着物をはぎ取る」行為もそこまで悪いとは思えないんだよね。もちろん令和の現代に、死んでる人に傷つけたり身につけてる物を盗んだら、倫理的にはもちろん悪いし、そもそも犯罪行為だよね。でも『羅生門』が舞台にしてる、荒れ果てた平安末期にはどうなんだろう。例えば太平洋戦争中、冬の寒さを逃れるために戦死した人の服を身に着けたりすることは、多少許容されたと思うんだ。何しろ平安時代に、まず下人という奴隷の存在が許されている時代に、死体がゴロゴロと放置されている無秩序な状態で、そのうちの一つの死体の髪を抜く行為が絶対的な悪だとは思えないんだよね。, 生きる術がない途方に暮れた荒廃した世界で、死んだ人の物を取るのはそんなに「エゴイズム」なのかな。確かに褒められた行為ではないけど、「人間の醜さ・闇」というより「人間の生の肯定」という印象を受けたんだよね。まあテストで書いたらバツなんだろうけどね。, 最後の「下人の行方は、誰も知らない。」という文章には、二つの意味があると思うんだ。一つは、下人がこれからどんな風に生きていったのか、はたまた死んだのかは、誰にもわからない、という意味。物語に含みを持たせて読者に推測させる効果があるよね。, そしてもう一つは、そもそも「下人」ではなくなった、という意味。つまり「下人」という肩書を持った人間は、老婆から着物を剥ぎ取った瞬間から「盗人」になっていたという意味。下人は老婆から着物を剥ぎ取って、きっとその時には雨も止んで、外に出た時には「下人」ではなくて「盗人」として新たな人生を歩み始めたんだ。だから「下人」の行方は誰も知らない(なぜなら下人じゃなくなっているから)っていう意味かもしれない。屁理屈みたいだけどね。, この解釈があってるかどうかは別として、短い小説なのに色々考えることができる『羅生門』はやっぱり面白いよね。久しぶりに読み返してみると、新たな発見があると思うから、是非読んでみて。」, カッコよく文学を語ります 夏目漱石著『草枕』の冒頭はと言えば 山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ... 「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」ってことば、何で知ったんだっけ。 いや、ほんとははっ... アイキャッチ画像は「偽物語&猫物語(黒)」Blu-ray Disc Box予告映像より ©... なぜあの人には話が伝わらないのか/男性脳の特徴 って記事がこのブログではよく読まれています... キンブリーさんについて記事を書こうと思います。 キンブリーさんとは『鋼の錬金術師』に出て... ラーメンズが好きなのですが、特にお気に入りのコントは『採集』かもしれません。 かもしれませ... 「多様性」が叫ばれる時代、というか「多様性」という言葉を目にする機会が増えた昨今。 このブ... 「多様性」は他人を認めるための言葉ではなく、「自分が間違っている可能性」を知るための言葉だと思う. 書評 読書. 「下人の行方は、誰も知らない。」 最後の「下人の行方は、誰も知らない。」という文章には、二つの意味があると思うんだ。一つは、下人がこれからどんな風に生きていったのか、はたまた死んだのかは、誰にもわからない、という意味。 仄暗い雨降りの景色の中で佇む下人。面皰(にきび)に焦点を当てられるところ。楼閣の中に転がっている死体。そしてその中で一人女の髪の毛をむしる老婆の姿、などなどの映像的な怖さが一つ。, 飢饉や火事など、災害による都の荒廃、盗人や殺人が横行する治安といった時代的な怖さがもう一つ。, さらに、そんな折に暇を申し渡され、行く先が見えない下人の倫理が崩壊していく人間的な怖さ。, 倫理が崩壊していくというのは少し違うかもしれないですね。下人が持っていた当たり前の倫理や正義が通用しないという状況になったというだけで、それを受け入れたというだけなのだから、倫理観のアップデートがされたということなんだろうなと思う。, という、含みを込めて、かつ余韻をたっぷり残す文章的な怖さが、『羅生門』には詰まってる。, だけど僕がいっちばん怖いと思うのは、何よりこの話をまるで実況するかのように追っている作者の好奇心なのです。, 作者はさっき、「下人は雨止みを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨が止んでも、格別どうしようという当てはない。, 神の視点とか、単なる三人称という書き方ではなく、作者はーって言っちゃってる分、生身の人間感がある。作品内に作者が登場しちゃってる状態です。, 顔の微笑が一かわ一かわ消え行くにつれ、足取りも次第々々に緩やかになって、終には虫の這うようになり、悄然と頭をうな垂れて、二三町程も参った頃、不図立ち止まりて四辺を回顧し、該然として二足、三足立ち戻ッて、トある横町へ曲り込んで、角から三軒目の格子戸作りの二階屋に這入る。ちょっと一所に這入ッて見よう。, デイヴィッド・ロッジの『小説の技法』にも「作者の介入」として紹介されている方法で、その気になって探せば意外に多くの作品で用いられている方法だと思います。, あ、僕が今思いつく限りでは町田康の『告白』でも、急に作者が主人公に「ツッコミ」を入れるところがあった気がします。「アカンではないか」みたいな調子で。ちょっと本が手元にないからちゃんと引用できないのだけど、気になる方は確認してみてほしい。, このときの介入する作者が、まったくひねりなく、物語の作者、つまり小説家であるか、小説内で作家として設定してある誰かなのかは分からないし作品によるのだと思います。, 『羅生門』で言えば、芥川龍之介が自分のことを指して「作者は―――」と書いているのか、あくまで視点に臨場感を出すとかそういう目的で架空の作者を設定しているのかは分からない。, ただ、いずれにせよ何らかの効果を狙って「作者の介入」という技法を使っているには違いありません。, その効果は、あくまで僕が感じる範囲でだけど、作者の介入に引きずられ、読者である自分も物語に近づくということ。, 『羅生門』の中に出てくる作者が芥川龍之介のことだとして、『羅生門』に僕が感じる怖さはどんなもんなのか。, それはまるで、作者(芥川龍之介)の後ろにこっそりついてて、「おい、あそこに下人がいるぞ、雨止みを待ってるんだろうか、いやあの様子だったら仕事がなくなって先行き不安というところだろうか」とかブツブツ言ってるのを聞いてるみたいな感じ。, 物語を読んで想像させられるのは、芥川龍之介はこの雨の中、下人が羅生門のところで佇んでいるところをジッと執拗に見ていて、恐らく望遠鏡のようなものすら使って見ていて、楼閣の二階に上がればそれをこっそり追い、老婆とのやりとりも逐一メモに取ったり考察したりしてる、ということ。, 目の前で起こることはそりゃ恐ろしいのだけど、ちょっと冷静に、物語ではなく、「物語を語る側」という視点で見ると、隣にいる作者を一瞥して「いやあんたは何なんだ、何が目的でこんなことしてるんだ」と言いたくなるかもしれません。, 原典と比べると、芥川龍之介の『羅生門』はやはり下人の葛藤のあたりに焦点が当てられるように意図されているように見えます。, 好奇心を持って見たものを伝えるために、「それらしく」処理しただけかもしれない、とも思う。, それで仮に、本当に作者が好奇心だけで下人を観察しているとして、僕がえっ?って思ったのはこの部分です。, 「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。, ここ。下人に目を付けて、下人の後を追って、やったことを全部確認したあと、作者は当たり前のように下人を見ることを止めるんですよね。, 「下人は老婆の粗末な着物を振り回し、ときおり短い咆哮をあげながら、夜をひた走った」のように、下人に視線を注ぎ続けてもおかしくないと思います。, ところが「しばらく、死んだように倒れていた老婆が」と続いているのを見て、えっ?って思う。龍之介さん、老婆見ることにしたの?となる。, 隣にいる芥川龍之介の顔を見ると、老婆の姿を凝視していて、下人がどうなるかなんてもうまるで興味がない様子。, 暴力を受けて、身ぐるみ剥がされて、自分の身可愛さのあまりあれこれと言い訳がましく喋って、下人に開き直る機会を与えてしまった老婆のこのあとの方が芥川龍之介は気になったのだ、と分かる。, 下人がどこに行って何をしようとも別にもう良いよ、どうせ適当に盗人になって、必要なら人を殺したりするんじゃないの。, 知らないっていうか知ったこっちゃない、きっとこの先下人についていっても予想外のことは起こらない。, 老婆は下人の行方が気になってるらしいけど、どうだろ、追うと思う?泣き寝入りすると思う?どうやって生きていく?あんな開き直った侍崩れが跋扈する場所で生きていけると思う?, 気付いちゃったんだよ、開き直れば済む世界じゃないって。そもそも、ここまで惨めになってまだ生きていたいと感じると思うだろうか、どうだろうか。, そういう作者の果ての無い好奇心というか、人間の精神を遠慮なく観察しようとする凄みが文章の手前にあることに、僕は『羅生門』の恐怖を感じる。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます). 下人の行方は、誰も知らない。 出典:第三短編集『鼻』(1918年7月) 長い間、『羅生門』を読んでいなくても、「あぁ~たしかにそんな感じだったなぁ」と思えるような一文ですよね。 この前の第2稿バージョンがこちら。 下人の行方は、誰も知らない」 という、含みを込めて、かつ余韻をたっぷり残す文章的な怖さが、『羅生門』には詰まってる。 だけど僕がいっちばん怖いと思うのは、何よりこの話をまるで実況するかのように追っている作者の好奇心なのです。

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