ナチス 人体実験 功績 59

当ウェブサイトに掲載されている広告は、必ずしも弊社の見解(政治観・宗教観等)を反映するものではありません。また弊社はその内容に対し、責任を負いかねますのでご了承ください。 Copyright © // >149 document.write(new Date().getFullYear()) 今年の5月8日、欧州における第二次世界大戦の終結から75年を迎える。ナチスによる残虐な犯罪をはじめとしたドイツの負の歴史については、現在も世界中で学ばれている。一方、ここドイツではその歴史経験をどのように語り、次の世代へどのように伝えてきたのだろうか。この75年という節目に、ドイツにおける歴史教育や記憶文化について取り上げながら、ドイツ人の「過去」との向き合い方、そして、「過去」を現代にどのように活かしているのかを探る。, 第二次世界大戦以前から、ナチスはユダヤ人に対して人種差別的な思想を持ち、ユダヤ人を迫害する政策を次々と打ち出していた。1942年には「ユダヤ人問題の最終的解決」と題した政策で、欧州におけるユダヤ人の絶滅計画を立て、それを実行。これがいわゆるホロコースト(ギリシャ語で「焼かれたいけにえ」の意)といわれる大量殺戮だ。ユダヤ人はゲットーへの強制移住にはじまり、次々と強制収容所に移送され、人体実験や過酷な労働を強いられた。また、子どもや高齢者、病気の者は労働不可能とみなされ、約300万人がガス室で殺害されたという。1931~1945年の間に殺害された欧州のユダヤ人は、およそ570万人(諸説あり)。もともと900万人いたという欧州のユダヤ人の3人に2人が犠牲となった。, ナチスの犠牲者は、ユダヤ人だけではない。シンティ・ロマや障がい者もユダヤ人と同じく「劣った民族」として迫害の対象となった。さらに、捕虜となったソ連軍の兵士たちは放置され、飢餓や病気などで200~300万人が死亡したといわれる。また、数百万人単位の非ユダヤ系ポーランド市民やソビエト市民が強制労働させられ、殺害された。ほかにも、共産主義者、エホバの証人、同性愛者なども強制収容所に移送され、その多くが命を落としている。, ホロコーストをはじめとするナチスによる残虐な犯罪は、第二次世界大戦が終わってからの軍事裁判や生存者の証言によって徐々に明らかにされてきた。そして、戦後復興とともに、ドイツ人も少しずつ自国の過去に向き合っていくことになるのだった。, 参考:Bundeszentrale für politische Bildung 公式サイト、United States Holocaust Memorial Museum 公式サイト, *ナチスによる迫害の歴史 Quelle:Arbeitskreis Zukunft braucht Erinnerung「Opferzahlen des Holocaust」, 戦後から今日に至るまで、ドイツではナチスについての批判的な歴史教育が徹底的に行われてきた。ここではドイツの中等教育で歴史がどのように教えられてきたか、その変遷をたどる。終戦から75年経った今、過去から生じる責任を誰がどのように引き受けていくのか。時代や社会の激しい変化に遭遇しながらも、過去について「考えること」を諦めないドイツの姿を見つめてみよう。, 参考資料:http://bibliothek.gei.de、Zeit Online「Was geht mich das noch?」、川喜田敦子「ドイツにおける現代史教育」、ラインハルト・リュールップ「ナチズムの過 去と民主的な社会」、サーラ・スヴェン「戦後ドイツと日本の教育における教科書」、近藤孝弘「欧州統合と歴史教育」、テオドール・アドルノ「アウシュヴィッツ以後の教育」, 第二次世界大戦の終戦後、ドイツでは学校で歴史の授業を行うことが一旦連合国によって禁止された。その後、1947年までに学校での歴史教育が再開。連合国側が戦後ドイツの統治について定めたポツダム協定をもとに、「ドイツの教育はチズムや軍国主義の教義が完全に払拭され、民主主義理念の成果ある発展が可能となるように規制されねばならない」ことが歴史教育でも基本方針とされた。, しかしナチスの過去はドイツにとってあまりにも近すぎる歴史であり、連合国による「非ナチ化」政策に対し、国内では強い反発があったという。そのような理由もあって、西ドイツ創設期の歴史授業では、第二次世界大戦の内容に触れる場合でも時系列的な説明にとどまり、ユダヤ人をはじめとするホロコーストについてはほとんど言及されなかった。, またこの時期の教師、親、子どもたちは、ナチスを歴史の授業で扱うことに大きな戸惑いや抵抗、拒否反応を示していたといわれている。そのため仮に歴史の教科書にナチス時代のことが記述されていたとしても、実際の授業はそれ以前の第一次世界大戦やワイマール共和国期までで終えることが多かった。一方で、ドイツ人の間でも少しずつ、ドイツの歴史においてナチスをどう受け止めるべきかという議論が活発化していく。, そんななか、ドイツの現代史教育を変える決定的な事件が起きる。1959年12月~1960年1月にかけて、西ドイツ全土のユダヤ人墓地が一斉に荒らされたのだ。犯行件数は470件を超え、墓荒らしに加担した大多数は青少年。西ドイツ社会に大きな衝撃をもたらすとともに、若年層の歴史についての知識不足が問題視された。, これらの犯行に対し、1960年1月30日にドイツ教育制度審議会が「反セム主義的暴行事件に関する声明」を発表。戦後教育が十分に行われていない現状を厳しく批判し、若者たちの民主主義的な態度を育成するために、ナチスの過去に関する教育を充実させるべきと、初めて明確に打ち出した。さらに、1961年にイスラエルで行われたアイヒマン裁判*や、1960~70年代にかけて連邦議会で議論された「ナチ犯罪に対する時効廃止」などの影響もあり、歴史の教科書も次々と大幅な改定が行われることに。, 例えば、西ドイツの代表的な歴史教科書の「Europa weitet sich zur Welt」では、1952年版ではユダヤ人迫害について触れられているのはわずか2行。その後、同じ出版社が1967年に出した「Europa und die Welt」という新版の教科書では、「ユダヤ人迫害」という独立した節が立てられ、5ページにわたって詳しい説明がされ、第二次世界大戦中のユダヤ人迫害については、別の項目の中でさらに詳しく触れられるようになった。, アイヒマン裁判……ナチスのユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマン(1906-1962)が1960年5月、逃亡先のアルゼンチンで捕らえられ、翌年4月から行われた裁判。この裁判を傍聴していたドイツ出身のユダヤ人哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975)は、アイヒマンはただ命令に従っていただけの「普通の平凡な人間」であり、悪の本質は「人間の思考停止」にあると分析した, 教科書の改定などにより、ナチスの過去を子どもたちに詳細に教えるという点では、一定の成果を出すことができた。しかし世代交代や社会情勢の変化によって、1970年代後半にはヒトラーブームや青少年のネオナチ化が再び活発に。その原因は、「ヒトラーを知らない世代」の子どもたちは、授業でナチスの過去を歴史的な事実として知ることはできても、自分たちの実感として学び、考えることができていなかったからだと考えられている。, というのも、1970年代までの教科書はホロコーストに関する説明自体は大幅に増えたものの、虐殺はあくまで「ナチス」の独断であったかのような説明が多く、一般のドイツ人がどのようにナチスに協力したかについては触れられることがなかった。実際、当時の教科書の文章では、虐殺の行為主体は「ヒトラー」「ナチス」「親衛隊(SS)」であるか、もしくは「多くのユダヤ人が絶滅収容所で命を失った」のように、受動表現や無生物主語の文型が多かったという。, 「何のためにナチスの過去を学ぶのか?」。終戦から30年以上が経って再びこの問いを突きつけられたドイツは、「一般のドイツ人(=自分たち)の責任」について教育するという道を選んだ。教科書は、ヒトラーやナチ党幹部の動向だけではなく、ナチス支配下の人々の生活や態度にも言及するよう大幅に変更。それまで政治史や外交史が中心だった教科書には、新たに日常史や地域史という視点が加えられ、より生徒たち個人の経験に引きつけた内容になった。そしてこの時点から、一般の人々がホロコーストに協力したこと、知っていたのに何もしなかったこと、さらには知ろうとしなかったことまで含めて、世代を超えて「ドイツ人の責任」を問い続ける姿勢が確立された。, 1979年に西ドイツで初めて放映された、米国のテレビドラマ「ホロコースト−戦争と家族−」。当時の西ドイツメディアでは、ドイツ市民が何の抵抗もなくナチスに協力する姿がこれほどはっきりと描かれたことはなかった, ナチスの過去と徹底的に向き合ってきたドイツだが、近年ドイツが移民社会・多文化社会となったことで、いわゆる「ドイツ人」的な歴史認識を共有することが難しくなってきた。それまでの教育は、政治的な立場は多様であっても、文化的には単一の人々を前提としていたからだ。, これまでの現代史教育では「加害者vs被害者」という二項対立を軸に、「加害者(=ドイツ)の責任」を自覚させることに焦点を当ててきた。しかし移民を背景に持つ子どもたちは、ナチス支配の犠牲者の子孫でもなければ、加害者、協力者、傍観者の子孫でもない。また、ある教育現場では、この「加害者vs被害者」という構図が「ドイツ人vs外国人」という学校内での対立を必要以上に強めてしまったというケースも。そのような状況は、子どもたちに過度なショックやストレスを与えることになってしまう。, そのため今日では「責任」に加え、「相互理解」や「対話」が歴史授業の新たなキーワードに。当時の加害者と犠牲者の視点を対比して学ぶだけでなく、生徒たちがホロコーストに対する考えを共有し合うことで、お互いの考え方やアイデンティティーを理解しようというのだ。特に移民家庭の若者たちにとって、ドイツがナチスの過去とどう向き合うかを知ることは、ドイツ社会そのものを知るための重要なきっかけとなる。それは取りも直さず、多様な集団が一つの国で共生していくために重要な視点といえるだろう。, 1960年の時点では、西ドイツの子どものうち両親または片親が外国人である割合はわずか1.3%だったが、1997年には20%に。

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